神戸の街を歩く ミュージアムロード(神戸市灘区)
神戸の街を歩く ミュージアムロード(神戸市灘区)
JR三ノ宮駅の一つ東隣の駅が灘駅で、この駅を挟んで南北に走っているのがミュージアムロードと称されている。と言っても、一本の道が続いているのではなく、駅舎で中断されていて、北から南へ、南から北へ行くにはいったん駅舎の二階に、エレベーターかエスカレータで上がらなければならない。来るかは駅の東西を迂回しなければならない。この道が各種の文化施設に続いているのでこの名称が付けられた。
交通機関はJRの他に、阪急神戸線の王子公園駅が道路の東500m程の所にあり、JR灘駅から南に下っていくと阪神電車岩屋駅が左手にある。
ミュージアムロードの由来
これまで、この灘駅の北、徒歩約10分の所に兵庫県立近代美術館があった。この美術館が震災後あらたに造られた美術館として海岸の方に移転し、残った旧美術館はそのまま利用され、西館が横尾忠則現代美術館となり、本館と東館が「原田の森ギャラリー」として活用されるようになった。この二つの美術館を結ぶ道がミュージアムロード。
ミュージアムロードにある施設
このあたり一帯にいくつかの文化施設がある。ロードを北に付きあたったところに神戸市立動物園があり、動物園の西隣に神戸市立文学館。これらの道路を隔てて南側が旧美術館。駅の南側は、灘駅からだらだらと下っていくと国道43号線と交わる所に商業ビルがあり、その中にBB美術館がある。そこからさらに南下して突き当たった所が現在の兵庫県立美術館。美術館の西隣に、阪神・淡路大震災の記録と防止を願った「人と防災未来センター」がある。
これらの施設を繋ぐ道のあちこちに野外展示物が配置されていて、歩きながらオやっと思わされるのもこのミュージアムロードの楽しみの一つとなっている
以下は主な施設の紹介。
<神戸文学館>(https://www.kobe-np.co.jp/info/bungakukan)
かつて関西学院のあった地でチャペルだけが残っていて、それが文学館に再生された。発足は阪神・淡路大震災後11年たった2006年。神戸にゆかりの有った文学者を網羅的に顕彰していて、決して広い場ではないが、文学と神戸の関係を知ることができる。
<横尾忠則現代美術館>(横尾忠則現代美術館 (ytmoca.jp))
画家横尾忠則は1936年(昭和11年)に兵庫県の西脇市に生まれており、この美術館のある山手、摩耶山の麓にも住んでいたことあるという神戸ゆかりの画家。この美術館には横尾忠則から兵庫県に寄贈・委託された作品を収蔵・展示している。現役の画家でストックも多く、年数回特別展が開かれてその都度話題を呼んでいる。本人は「自分の分身であり墓である」と語っている。(『美術手帳』2022年7月号)。
<原田の森ギャラリー>(原田の森ギャラリー – 原田の森ギャラリー (hyogo-arts.or.jp)
1970年に作られた兵庫県近代美術館が2002年にあたらしく兵庫県立美術館として浜手に建てられ、
その跡が、西館は横尾忠則現代美術館に、本館と東館が原田の森ギャラリーとして県民に利用されている。兵庫県下の美術団体の美術展、書展、写真展、学校行事など、多彩な展示が年中展開されている、
<BB美術館>(https://bbpmuseum.jp/)
美術館はBBプラザビルの2階にある。しかしここは坂道になっていて、駅から下って行って左手にあるビルの入口を入ると、そこがもう2階に入ったことになる。
美術館は、株式会社シマブンコーポレーションという企業の創業100周年記念を祈念して2009年発足している。収蔵美術品は日本を代表する近・現代の画家や、フランスの巨匠たち著名画家の絵画や版画、彫刻作品で、順次公開されている。
<兵庫県立美術館>(兵庫県立美術館 – HYOGO PREFECTURAL MUSEUM OF ART artm 芸術の館 神戸)
ミュジアムロードの南端にあるのが兵庫県立美術館。このあたりは阪神・淡路大震災の被害の大きかった地域の一つで、震災後、整備されて「HAT神戸」地域として復興住宅その他の施設が建設され、2002年にこの美術館が建設された。規模は2万7千㎡を越え、西日本一となっている。安藤忠雄が設計したことでも話題となった。
収蔵美術品も、近代美術館当時から引き継ぎ、1万点を越えている。年数回の「特別展」も規模が大きく、関西の美術のあらた拠点として活動している。
<人と防災未来センター>(人と防災未来センター (dri.ne.jp))
兵庫県立美術館の西側にあるのが人と防災未来センター。
1995年に襲った阪神・淡路大震災の痕跡を記録すると共に、防災の研究機関も設置され、震災がどんなものであったかを追体験し、学ぶ場となっており学校の教育にも取り入れられている。