神戸の街を歩く 平家物語のお寺・須磨寺

神戸の街を歩く 平家物語のお寺・須磨寺

JR神戸線の下り、快速電車は神戸駅を出ると西隣の兵庫駅に止まり、その次に止まるのが須磨駅。ここで各駅停車の電車が待ち合わせしている。駅を出るとすぐ南が海で、夏は海水浴場として賑わう。線路が海岸すれすれに走っているのも珍しく、景観もよい。

須磨寺はこの須磨駅の北東部にあり、市バスまたは山陽電車で行くことになる。

須磨寺は真言宗須磨寺派の大本山で、新西国三十三箇所第24番札所。正式名は福祥寺であるが、通称「須磨寺」で通っている。このお寺は平安時代初期から続く由緒ある寺であるが、源平の須磨一ノ谷の合戦など物語性で知られていて、訪ねる人が多い。1995年の阪神・淡路大震災でかなりの被害を受けたが、現在は復旧されている。

源平のたたかい 須磨・一ノ谷の合戦

「平家物語」でお馴染みの源平の合戦で、平家が都落ちして最初に行き着くのが須磨である。

この平家の集団を急襲したのが追っ手の源義経。北が山で、東の神戸方面に陣を構えたいた平家を、義経は裏山から急な坂を駆け下りて急襲したので平家側は大混乱に陥り海上に逃れ、やがて四国の屋島に辿りつく。この間の闘いを一ノ谷の合戦と呼んでいる。(これらの史実については厳密には諸説があるようだ)。

一ノ谷の位置は、須磨寺とは逆に、JR須磨駅から西に寄ったところで、背景はかなりきつい山で、ここから攻めてくるとは思えない地形に陣取っていた。現在この山(鉢伏山246m)にはロープウエイがかかっていて、眺望は抜群であり、春は一面に桜が咲いている。観光地になっている。

一ノ谷の合戦 熊谷直実と平敦盛

須磨寺には一ノ谷の合戦の言い伝えや遺品が多数残っている。最も知られているのは熊谷直実と平敦盛の一騎打ちの場で、境内にその様が塑像で展示されている。源氏の武将熊谷直実が逃亡する平家の中の武将を「敵に背を向けるのか」と呼び止め、引き返してきた平家の武将を討ち取る。寸前、それが息子と同じ若武者であることに気付く。人生の無常を感じ取り、直実は後に僧侶になる。

討ち取られた若武者は、なんと平清盛の弟の息子・敦盛である事が判明する。敦盛は笛の名手であり、戦場でも笛を吹いていた。その笛「青葉の笛」もこの寺に保管されていて見ることができ、名物の一つになっている。敦盛の首塚も境内にある。

芭蕉の句碑など

須磨寺には松尾芭蕉や正岡子規、尾崎放哉の句碑がある。

芭蕉の句碑   須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇

  芭蕉が源平の合戦のこの地を訪ね敦盛を偲んで詠んだ句。

正岡子規の句碑  暁や白帆過ぎ行く蚊帳の外

  子規は日清戦争の従軍記者として中国に渡るが発病し、神戸の病院に入院する。

  その須磨保養院がこの近くにあった。そこで詠んだ句。

尾崎放哉の句碑  こんなよい月を ひとりで見て寝る  

  放浪の俳人・尾崎放哉は、一時(大正13年~14年)須磨寺太子堂の堂守として暮らし       た。

山本周五郎『須磨寺付近』

なお、『樅の木は残った』などの時代小説作家と知られる山本周五郎の初期作品に『須磨寺付近』という現代小説がある(1926年「文芸春秋」に発表)。周五郎は一時このあたりに住んでいた事があり、その経験を元に書いたもので、須磨寺あたりが舞台になっている。周五郎の出世作となった。

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