神戸の街を歩く 旧居留地 地域を歩く
神戸街歩き 旧居留地地域を歩く
神戸は港の街と言われています。
これは明治維新当時に、鎖国を解いて開港した際に指定された5つの港の一つに当たるからでもあります。即ち、横浜、長崎、函館、新潟、そして神戸です。
1868年1月1日、明治維新の年に開港されましたが、実際に機能する街として、外国人の居留する街はそれから後に建設されました。
基本設計をしたのはイギリス人で、格子状街路、街路樹、公園、街灯、下水道などが建設されました。
居留地は、いわば外国人が住み、商売する街だったので建設当時は治外法権、つまり日本の法律が通用しない自由な地域と言うことになります。
居留地はどのあたりにあったのか
もともと神戸には、少し西寄りに兵庫津という港があり、古代から重要な歴史的役割を果たしてきました。開港に当たり、この兵庫津をそのまま使うことで起きかねない住民との摩擦をさけて、そこからさらに東に寄ったところに、新たに港が作られました。
今の地形で言えば、JR三ノ宮駅と元町駅と間の南部一帯に位置します。
JR三ノ宮の駅の下に、南北に大きな道があり(今フラワードーロと呼ばれています)、それを海までゆくと神戸税関に突き当たり、そこから西が港です。この道路に西側にノッポのビルがあり、これが神戸市の市役所で、このあたりが旧居留地の東端となります。
西端は、JR元町駅東口を南下すると、すぐ左手、東側に大丸百貨店があり、ここが旧居留地の西北端になります。
神戸市営地下鉄の海岸線は、始発の駅が「三宮花時計」、次の駅が「旧居留地・大丸前」となっています。
旧居留地の現在
旧居留地の治外法権はやがて解消され、日本の手で運営されることになりますが、外国との貿易港として栄え、山手に多くの外人住宅が建てられました。これが今も残っている北野町の「異人館」です。
では元の居留地はどうか。年とともに建物も建て替えれてきました、明治大正の頃の建物は戦災などで破壊され、残っていた建物も1995年の阪神・淡路大震災で倒壊、今はその元の姿はありません。
しかし旧居留地の歴史を重視し、建物の再建や復活に努力し、この地域にはそれらしい風格が感じられます。中でも、震災で倒壊した第15号館は、耐震構造で復活し、観光者の目を惹いています。
神戸市立博物館はこの街の中心部にあり、その1階では、在りし日の居留地の面影を復刻した展示があり、歴史を知ることができます。(近くにあった神戸らんぷミュージアムはコロナ禍のあおりもあって閉館されました。)
町並みには高級ブチックなどハイカラの街に恥じないビルが続き、神戸の街の原点を知るには格好の街区となっています。
旧居留地周辺
この旧居留地のすぐ西に中華街「南京町」が続いています。この南京町は、居留地に入れなかった中国人が中心に作った町で、連綿と今も栄えて多くの観光客を集めています。
この南京町の浜手にあるのがメリケンパーク。港の一部を埋め立てて出来た海上公園で、神戸タワーや海洋博物館もここにあります。
南京町とJR元町駅の中間に東西に延びているのが元町商店街で、西へ向かってJR神戸駅近くまで延びています。三宮センター街が比較的新しいのに対して、元町商店街はもっとも神戸らしさを残している街です。阪神・淡路大震災後、街の様子はかなりかわりましたが、神戸に来たからには一度は歩いておきたい商店街と言えるでしょう。